【閲覧注意】超新鮮なヤギを食べた話

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考えごと
地球のみなさんこんにちは!
ケニアより平岡です。

今日はセンシティブなことを書くので、嫌な気分になったらページを閉じてください。
タイトルでどう表現するか悩んだのですが、この前初めてヤギのと殺に立ち会いました。そのときの状況や気持ちを忘れたくないと思ったので、こうしてブログに書くことにしました。

ケニアにおけるヤギのポジション


ケニアではヤギはとても身近な家畜。
ヤギを飼っている家庭は多い。
食肉としても身近で、単に焼肉と言えばヤギ肉のことを指すし、肉屋さんと言えばたいていヤギ肉屋さんのことだ。
牛や鶏も食べるけど、ヤギの方がレストランで出会う頻度は多い。ちなみに豚を食べる人は少ない。

身近な食肉とは言え、貴重なものなので、普段から気軽に家で食べるものではないみたい。
パーティーやお祝い事、お客さんがきたときなんかに振る舞うそうです。


突如始まったヤギのと殺


※ここから先が閲覧注意となります!生々しい描写もあります。苦手な人はページを閉じよう!

たまたま私の配属先の同僚の家で人が集まるタイミングがあり、私もお邪魔することになった。
この日ヤギを食べるということは聞いていたので、もしかしたら家でと殺するのだろうか…?と思いながら参加。

その予想は的中し、「そろそろヤギの準備するか~」と言って庭に出る人々。
多少の覚悟はしていたけど、本当にやるのか…とツバを飲む私。
こんな機会なかなかないし、今までたくさんの命を頂きながら生きてきたんやし、どんなかわいいヤギが現れたってここは腹をくくって一部始終を見届けよう。と誓った。
なんなら動画にもおさめようと、デジカメのデータ容量を空ける作業に勤しんだ。

そしてヤギくん登場~
RIMG6790.jpg
あ、あかん、かわいい…
こんなかわいいヤギくんが今から殺されるのか…
ヤギくんは人間に撫でられたら嬉しいかもしれない。と勝手に思い、せめて最期に喜んでもらおうとヤギくんをなでなでする私。

あ、やっぱりかわいい…
ヤギくんは撫でられて喜んでいるようには見えんかったけど。
ありがとうとごめんねの気持ちを込めて撫でると情がうつった。
今思い出しただけでも悲しくなる。

ヤギくんは男性陣に引っ張られて、と殺現場である庭の隅に連れて行かれた。
脚を掴まれてひっくり返されて、メェェって鳴きながら嫌がってる。
この辺りで死の危険を感じてると思う。
RIMG6791.jpg

私はなんだか目の前で起きていることについていけない感じで、感情の整理が追い付かなくて涙が出そうになった。
少し後ずさった。

そして一人の男性がナイフを持ってきた。
準備は整った。

あ、これは…なんか思ってた以上に辛いかも…
見れるか?無理か?見れないのか?
やっぱり無理ーーー!!!!
ってなって、私は走って隣の畑に逃走した。

ちゃんと見届けようと誓ったんやけどな…無理やった。
見ようっていう気持ちはあったけど、体が拒否してた。たぶん、あのまま無理して見てたら気分悪くなってたと思う。

畑にもヤギくんの叫び声は聞こえた。2回。
しばらくしてから現場に戻り、恐る恐る様子を伺ってみた。
そこには「ヤギの死体」があった。
ついさっきまでは「ヤギくん」って感じやったのに、「ヤギの死体」になってた。
死ぬとこうも変わるのか。

もう死んでしまったらどうしようもないからなのか、意外と冷静にヤギの死体を眺めることができた。
ヤギの首は前側からパックリ切られていて、後ろ側の2~3割は残して、首が繋がっている状態。
ヤギの首の切り口はあまりにも鮮やかな赤色でした。複雑に体を構成する何らかの器官が入り組んでるのが見えた。

一人の男性は血の入った器を持っていた。
ヤギの首を切ったときに出た血を器に溜めていたのだ。
なるほど、血の一滴も無駄にはしないということか。
こちらも赤すぎる赤色で、さらさらしている。


ヤギがヤギ肉に変わっていく


そしてここから解体作業に入る。写真もあるけど自粛。
ヤギの死体は物干し竿みたいなところにぶら下げられる。
詳しく説明すると、竿に輪っか状のロープが括り付けられていて(首吊り自殺のロープみたいなイメージ)、そのロープにヤギの首の切り口をひっかける。

まずは皮を剥ぐ。大人4人で綺麗に剥いでた。
そのうちの一人が私に向かってニコニコしながら「Mbuzi bila nguo!(裸のヤギだぜ~)」って言ってきたけど、私はまだそんなノリについて行けるほどメンタル回復してない。THE苦笑い。

それから手足をひじ・ひざの関節で折る。
ナイフで関節をガツンとやってとる。この部分は食べるところが無いみたい。

次に内臓を取り出して、きれいに処理する。
この日の集まりに獣医さんがいたので、食べられるかどうか丁寧にチェックしてた。

ここまできたら街でよく見かける、お肉屋さんでぶら下がっているヤギ肉とほぼ同じ。
違うのは、顔があるってことかな。
もうヤギというよりはヤギ肉になってる。
ヤギとヤギ肉の境目はどこやったんやろう?とぼんやり考えた。
毛皮があるかないかってところかもしれない。

その後ヤギ肉は部位ごとに分けられて、いつの間にかあの物干し竿的なものにはヤギの頭部だけが残っていた。
ヤギの両耳を掴んで顔を私の方に向けて何かジョークを言ってるケニア人。私はまだ苦笑いしかできない。


新鮮なヤギ肉、いざ実食


まずは内臓系から焼き始める。
レバーやホルモンは首を切ったときのあの血をソースのようにつけて食べるのがカレンジン(この地域に多い民族)のスタイルだそう。
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私はふだんあんまり肉を食べないゆるベジタリアン(外食時など、誰かと食事をシェアするときは気にせず食べることにしている。)なのだが、せっかくのヤギくんの命、血の一滴も無駄にするものか!という気持ちで、お肉を血にしっかりディップして食べてみた。
撮影のためにお肉を持ったまま止まっていると血がしたたってきて、ひやっとした。
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感想は、おいしい。まぁ普通に美味しい。
血に関しては意外と臭みがない。というか、無味無臭?
ケニア人は「こうして食べるのが旨いんだぜ~」って言ってたけど、私は血をつけても味を感じなかったので、つける意味が分からなかった。

そして後から分かった衝撃の事実なのだが、この血、ソースとして使い終わった余りは捨てるらしい。
捨てるんかい!!!!
一滴も無駄にせんのかと思いきや、こういうところ平気で裏切ってくるケニア。
まぁ、私が勝手に幻想抱いてただけ。現実はこんなもん。無駄になる血もある。
いや、捨てるとは言ってたけど、犬にあげたりしてるんかも。とちょっと期待してる。うん、たぶんそうしてる。

あと、ヤギ肉食べてる途中で気づいたけど、今回食べる前に祈ってない!!!!
食事の前よくお祈りしてるのに…お茶飲むだけでもお祈りするのに…今日はしなくていいん??
お祈りするときとしないときの違いが何なのか分からない。


命を頂いて生きるということ


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ありきたりな感想やけど、生き物のと殺現場に立ち会って(ちゃんと見れてはないけど)、命の尊さ、今生きていることの有難さを感じたのでした。
ケニア人はたいてい誰でもヤギやニワトリのと殺はできるそう。女性でもできるって。たくましい。
日本人の私は、見ることさえもできなかった。

私はこれまでどれだけの命を犠牲にして生きてるんやろう。
こんなにたくさんの命を奪ってまで生きる意味ってあるんかな。
それでもこれからもたくさんの命を奪いながら私は生きていくんやろうな。
人間のやってることってほんま自分勝手やな。

そんなことを考えたりもしました。
どんなに考えたって、人間はこれまでもこれからもたくさんの命を犠牲にして生きる。その事実は変わらん。
ライオンもそう、ねこもそう。
ベジタリアンも植物の命食べてる。
みんな命を食べて命をつないでる。
世の中そういうもん。

いろいろ思うことはあったけど、別にこれから人に「お肉食べるときは感謝した方がええで」とか言うつもりはない。
私も今は感謝しようって思ってるけど、たぶんいつか忘れる。

ただ時々ヤギくんの姿は思い出すかな。それだけ。
いや、ヤギくんのことさえもいつか忘れるんやろな。忘れたくないけどな。

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